スマートフォンで文字を書くのは多少なりとも人と関われるし、自分のペースで作業出来るから引きこもりの人にオススメ

家にずっと引きこもっている方も、ずっとこのままでいようとは思っていないでしょう。 いずれは外の世界に出て、自立しなくてはならないと考えているのでは無いでしょうか。 しかし長い間引きこもっていたせいで、外の世界での生活や人間関係の築き方を忘れてしまったかもしれません。 またずっと1人で部屋の中にいた事で、周りから置いて行かれた気になり自信を無くした人もいるはずです。 そして余計に外出が怖くなり、引きこもりを辞められないって事も有りますよね。 けれど自宅にいる間に少しでも自分のスキルを上げられれば、引きこもりからの脱出もしやすくなるでしょう。 そしてそのスキルアップの方法として、文章を書いてお金を稼ぐと言う手段を取る事をオススメします。 文章を書いてお金を稼ぐのは、スマートフォンのみで出来る物が多く有ります。 私が利用している、「PLUS」と言うサイトもその1つです。 さらに通信環境さえ良ければ問題無く作業に取り掛れるので、時間と場所を選びません。 またサイトにログインして文字を打つだけなので、基本的には1人で行えます。 ですが絶対に1人で全ての作業を、するわけでも有りません。 分からない事が有ったらメールを送信して質問をしたりと、スムーズに作業を進めるための連携を取る事も可能なのです。 人と関わりながら仕事をするのが辛くても、顔の見えない相手とのやり取りなら出来る人も多いでしょう。 そして例えメールだけでも他人との関わりを持つ事により、人と接する面白さを思い出せる可能性も出て来ますよ。

フロイトとは反対に決断力が有ると考えるのがアドラー心理学です

アドラーとは正反対の考えをするフロイトは、人間は状況によっては本能をコントロールする事が不可能になると説きました。 しかしアルフレッド・アドラーは、そんなフロイトの理論を否定した考えを述べました。 アドラー心理学では、人間はいかなる時でも理性を持って決断する事が出来るとしたのです。 そして理性を持って答えを出せるからこそ、決断の自由が有ると考えています。 そして決断の自由が有るとするアドラー心理学は、現代の生活にとても良くマッチしているとされているようです。 自分の意思で自由に物事を決められるからこそ、人は成長出来て明るい未来を望めるという事でしょう。 もしフロイトが言うように本能をコントロール出来なかったら、幸せはそこで閉ざされてしまうかもしれません。 そう考えるのが、アルフレッド・アドラーなのです。 ですから幸せになるためにも、理性を持って自分の意思で選択して行きましょう。 流されるのでも闇雲に答えを導き出すのでもなく自分で正しいと思う道をしっかりと考えて導き出す事が、素敵な生活を送るための道となるのです。

アドラー心理学では感謝をする事はとても大切なのです

人と共に生活し、すべての人が共同社会の中に居ると教えるのがアドラー心理学です。 なのでアドラー心理学の考えでは、ありがとうという言葉はとても大切なのです。 ありがとうと感謝の気持ちを持つ事で、他者の力になれたと実感する事が出来ます。 ふると自己受容感も満たされ、幸せになれると考えられています。 またありがとうを伝える事で、他人も幸せに出来ます。 お礼を言われて嫌な気分になる人は、普通は居ないからです。 ですから共同社会の中で自分を確立させるには、対等認識を持ち誰にでも感謝をする事が必要なのです。 人は他者と自分をランク付けしやすく、ランクが低いと判断した相手には感謝の気持ちを持たない傾向に有ります。 アドラー心理学的に言うなら、自分より劣っているからありがとうを言わないと決めてしまっているのです。 また自分より格上だと思う相手に対しても、謙るばかりで本当の感謝の念を抱けないようです。 謝罪の気持ちと感謝の気持ちは全くの別物ですが、人はそれらを同列に考えてしまいます。 しかしそのような偏った考えでは、社会の中心で自分を確立させる事は出来ません。 全てを平等に捉える事から、始めなくてはならないのです。

人は人自分は自分そう強く教えるのが、アドラー心理学である

アドラー心理学では、自分の課題と相手の課題はそれぞれ別で有ると言っています。 課題というのは乗り越えるべき壁と捉えることも出来ますが、それだけでは無いのです。 人は人で自分は自分の、個々の人間だと強く認識する事も当てはまります。 つまりアドラー心理学では、誘いを断って嫌な思いをするかしないかはその人次第だから相手の心理を探る事は不可能だと考えているのです。 相手が出した答えを、自分の責任にする必要は無いとしています。 だから人と自分を分ける事が、大切なのです。 しかし人は他人の考えを読めないからこそ、自分と他人を同率化してしまいます。 なので、他人の考えを自分の考えにしないように生きる事は中々難しいでしょう。 ではどうすれば他者と自分を分別出来るのかという事ですが、それは割り切ってしまう事です。 「私は私の考えを持っていて、他人とは違う答えをだしてもいいじゃん」と割り切り開き直って下さい。 そうすれば他人と同列だと思わず、違う人間で有る事を知れるでしょう。 また自分が他人のと違う意見を持つ事は当たり前だと知る事で、相手も別の意見を持っていても可笑しくないと感じられるようになります。 そうすると、いちいち落ち込んだり他人に左右されて悩んだりしなくなるのです。

アドラー心理学では、行動は目的のための手段だと考えている

ルフレッド・アドラーが考案したアドラー心理学では、問題が起きるのは次の目的のためだと考えています。 例えばニキビを無くして美しくなりたいと思っている女性が、存在したとします。 その場合美しくなれないのは素質が悪いからと考えたり、使っている化粧品のせいにしたりする事は良く有るでしょう。 しかしアドラー心理学の上では、素質も化粧品の良し悪しも関係は有りません。 なぜならアドラー心理学では、綺麗に慣れないのは自ら綺麗になれる道を避けているからだと捉えるからです。 美しくなれないのではなく、綺麗になった事で生活が変わる事を恐れているという事です。 なので生活を変えないために、あえてスキンケアを怠るという選択をしているのです。 つまり行動は未来へ向かうための手段で有るため、そこに意思以外の物は関係していないという事になります。 出来ない事に過去の事情(使用した化粧品)を結びつけて考えるのは、出来ない事に対する言い訳にしか過ぎません。 見方を変えれば、そこまで変わりたくないと心で想っているのです。 本気で目的を持ってさえいれば、どのような状況であれ心は自然と前を向くというのがアドラーの教えです。

アドラー心理学とは何か、作ったのはだれなのかを説明します

アドラー心理学という、心理学が有ります。 アドラー心理学というのはアルフレッド・アドラーが考え出した心理学で、当の本人は個人心理学と読んでいたそうです。 個人心理学と読んでいた理由は、個人はパーツ事や思想事に分けられる存在では無いと考えているからです。 アドラー心理学の理論では、人は全て目的に伴い行動し他者に悩みつつ生きているとしているのです。 そしてそれらを受け入れて個々を大切にして生きることこそが、人生においてとても大切な事だとしているのです。 ちなみにこの心理学を考え出したアルフレッド・アドラーですが、1870年2月7日にオーストラリアで生を受けました。 そして、1937年に満67歳で死亡しています。 アドラー精神科医で有り、同時に4児の父でも有りました。 アドラーはユダヤ系の家系に生まれ、7人兄弟の次男として育ちました。 上の兄の言う事を聞きつつ、多くの弟妹達の面倒を見て育ったのです。 そのように大家族の中で生活した事が、後にアドラー心理学の発展に繋がったのだそうです。 そして彼はジークチン・トプロイト等と共に、心理療法を作り上げ著名になって行ったのです。

人見知りは子どものすることってちがく無い?

学生気分が抜けきれていない人の特徴というまとめの中に、「人見知りをすること」があった。

確かに社会に出れば人見知りでも秩序を乱さないようにするため、円滑に業務を遂行するために会話をする必要はあるだろう。

しかし話すことが苦手とか初対面の人相手だと口数が減ってしまうという人見知りは、学生気分が抜けていない証拠にはならないのではないか?

人見知りし過ぎて生活に支障をきたすとか会社で浮いているのは良いことではないが、それを「学生気分の甘ちゃんなのよ」で片付けるのはどうなのか。

もちろん、人見知りを隠してコミュニケーションを取れる立派な人もいる。

だがそれができない人ほど、悩んでいるのではないか?

悩んで悩んで、居場所が無くなって…最悪の場合には自ら死を選ぶ事もあるだろう。

そのような深い問題を、「子どもだからだ」の一言で片付けるのは少々酷ではないか?

それに「大人になってからの人見知りは社会不適合者だ」という記載もあったが、人見知りを外に出す人が社会不適合者であるなら学生も社会人も変わらないだろう。

学生だって、人見知りが激しすぎて輪に入れず不登校になるケースも多い。

それこそ全く社会に適合出来ていないではないか。

なぜ大人だけ、不適合者扱いなのか。

本当に人見知りでもなんとかなる時代なんて、幼稚園までだ。

幼稚園だって孤立することはある。

そう考えると、人見知りでも社会に溶け込めるのは赤ちゃんの頃くらいだ。

なのにどうして、子どもの人見知りは許されるけど大人は許されない

になるのか、甚だ疑問である。

人見知りで悩むのは大人も子どもも同じなのに…大人になるほど「心」を無視されているきがする。