人見知りは子どものすることってちがく無い?

学生気分が抜けきれていない人の特徴というまとめの中に、「人見知りをすること」があった。

確かに社会に出れば人見知りでも秩序を乱さないようにするため、円滑に業務を遂行するために会話をする必要はあるだろう。

しかし話すことが苦手とか初対面の人相手だと口数が減ってしまうという人見知りは、学生気分が抜けていない証拠にはならないのではないか?

人見知りし過ぎて生活に支障をきたすとか会社で浮いているのは良いことではないが、それを「学生気分の甘ちゃんなのよ」で片付けるのはどうなのか。

もちろん、人見知りを隠してコミュニケーションを取れる立派な人もいる。

だがそれができない人ほど、悩んでいるのではないか?

悩んで悩んで、居場所が無くなって…最悪の場合には自ら死を選ぶ事もあるだろう。

そのような深い問題を、「子どもだからだ」の一言で片付けるのは少々酷ではないか?

それに「大人になってからの人見知りは社会不適合者だ」という記載もあったが、人見知りを外に出す人が社会不適合者であるなら学生も社会人も変わらないだろう。

学生だって、人見知りが激しすぎて輪に入れず不登校になるケースも多い。

それこそ全く社会に適合出来ていないではないか。

なぜ大人だけ、不適合者扱いなのか。

本当に人見知りでもなんとかなる時代なんて、幼稚園までだ。

幼稚園だって孤立することはある。

そう考えると、人見知りでも社会に溶け込めるのは赤ちゃんの頃くらいだ。

なのにどうして、子どもの人見知りは許されるけど大人は許されない

になるのか、甚だ疑問である。

人見知りで悩むのは大人も子どもも同じなのに…大人になるほど「心」を無視されているきがする。